アニログ小説「友人Sのひとりごと。」Episode5
本編
「ごめんねー佐久間君。手伝わせちゃって」
「いいえ」
放課後、とにかく飯田と話そう。
その意気込みは、委員会活動という極めて地味、かつ現実的な理由によりあっさりと打ち砕かれた。
今日は休館日だというのに、ついてない。
けれどその休館日に、わざわざ出てきて一人で雑用をしている司書の先生からの願いを振り切れるほど、俺は鬼でもガキでもなかったのである。
「……そういやさあ、佐久間君。君水曜、結構ここ来てるよね」
「はい。あ、許可は貰ってます。ちゃんと鍵借りてるし」
「知ってる知ってる。……あのさ、その時に、何か見なかった?」
「? 幽霊なら居ても気づかないです、俺」
そうえば忘れがちだけど、ここには幽霊が出るらしい。
目撃者曰くセーラー服の女子生徒とのことだが、俺はまったく霊感が無いので、姿はおろか気配すら感じたことが無い。
先生は見たことがあるのだろうか。
なんとなく興味をそそられて、手元から顔を上げると
「いや、そうじゃなくて。誰か来た、とか」
先生はこれまで見たことのない、冷めた表情で手元のスマートフォンを叩いていた。
トントントントン。リズムとしては、貧乏ゆすりのそれに似ている。
明らかに、様子がおかしい。
「……誰かって、」
来たか来てないかでいえば、来たよ。お騒がせカップルがな。
でもそれを素直に自白するわけにはいかなないし。
と。そこまで考えて、ふといやな事を思い出した。
あの時、二人はなんて言ってた?
――「まあちゃんが言ってたとおり。」
――「司書の先生?」
あの言葉が正しいなら。司書の先生(まあちゃん)が加藤先生をここに誘導したということになる。
俺がよくここに来ることを知っているのに。誰も居ないと、嘘をついて。
「――先生、俺に何を見せようとしたの?」
ゾクりと、背筋に冷たいものが流れた。
何だこれ。ホラーよりホラーなんですけど。
「みてよ、これ」
先生は手元に置いていたスマートフォンを、こちらに向けて差し出した。
めっちゃ見たくない。というか絶対見ないほうがいいヤツだ。
それがわかっているのに、この場に流れる途方も無い強制力に負けて手を出してしまう。
「――これ、は」
そこに映し出されていたのは、見慣れたSNSの操作画面だった。
アイコンは被り物をした猫で、名前は、ヒナ(ハート)。
「あいつの裏垢。ひっどいよ」
ひっどいよ。というお墨付きの通り。内容は酷い有様で。
彼氏に買って貰ったアクセサリーだとか、お泊りデート(一泊5万)自慢だとかはまだ初級編。
幸せハッピー自慢の間に、えぐい彼氏批判の言葉が並んでいる。
顔はともかく金がある。顔はほんと好きじゃない。この辺で中級か。
俺が彼氏なら100年の恋も冷めるというか。その。
(――これ、飯田じゃないな)
飯田はとにかく顔がいい。けれど、財力は一般的な高校生並のはずで。
書かれていることが真反対だ。そして決定的なフレーズ。
――年下君は、全然遊べなくてつまらない。
――まじめすぎててダメ
――顔と性格以外はハズレ。
「――それは当たりっていうんだよ馬鹿野郎」
我慢が出来なくなって、つい。声に出してしまった。
「あっはっは。ツッコミたくもなるよねえ」
なんだこれ。俺は何を見てるんだ。
見ていられなくなって、思わず画面を伏せる。
「あいつさあ。金持ちの彼氏いるのに、他の男にも手だしてんの。その、年下君? ってどうせうちの生徒でしょ」
「……どうして、俺に」
「あいつなら、連れ込まないかなって。馬鹿だから。――私、嫌いなのよね。あいつ」
嫌いだから。陥れようとした。
確かに教え子に手を出したことが明るみにでたら、あの人は社会的な制裁を受けることになるだろう。
でも。それは飯田だって同じだ。
ここにいたのが俺じゃない他の誰かで、二人の噂が広まってしまったら。
飯田は、学校にいられなくなる。
それはどうでもいいというのか。
そりゃあ、いけないことをしてるよ。でも。
嫌いなやつの「ついで」で、あいつは――
「……俺、何も見てません。裏垢のことも忘れる」
プツン、と。頭の中で何かが切れた音がした。
衝動のままに立ち上がり、荷物を適当にカバンにつめる。
「佐久間く」
「大人の汚いゴタゴタに、ガキ巻き込んでんじゃねえよ」
この先生のことは、それなりに慕っていたつもりなんだけど。
もう、昨日までと同じ目では見れないだろう。
自分の手を汚さずに、「俺」に始末をさせようとしたこの人のことはあの女よりも嫌いだ。
俺は図書館を飛び出すと、すぐに飯田に電話をかけた。
もううだうだ悩む時間すら惜しい。ただただ気持ち悪くて。怖くて。吐き気がする。
幸いにもまだ校舎に残っていた飯田は、すぐに俺の呼び出しに駆けつけてくれた。
集合場所はうちの教室。あの日二人で語らった、いつか思い出になりそうな場所だ。
「佐久間? どうし」
「別れよう。飯田」
「は?」
これは自分でも驚いたのだけれど。
飯田の姿を見た瞬間に、ぼろっと大粒の涙が零れた。
緊張の糸が緩んだのか、なんなのか。感情のコントロールが効かない。
「あの人はお前に相応しくない。ていうかもう全部こええ。女性不信になりそう」
「落ち着け、佐久間」
「俺だってこんなこと言いたくない、言いたくないけど!」
「大丈夫。全部聞く。聞くから。」
落ち着いて、と俺の背中を叩く飯田は当事者とは思えないほど落ち着いていた。
多分俺が何を言おうとしているのかわかっていて、受け入れようとしている。
全部聞く。その言葉に甘えて、俺は飯田に全てを話した。
あの人の裏垢のこと。顔がイマイチな彼氏がいること。
あの日あそこで出会ったのは、策略であったこと。
飯田はうん、とか、そうか、とか。
淡々としたリアクションをしていたけれど、その手は震えていたと思う。
そして最後に、俺が司書の先生に目撃者に仕立て上げられたことを告げると、「こわいな。」と、心底嫌そうに一言だけ零した。
「……俺、余計なことしてるよな。ごめんな、こんな話して。でもやっぱ、俺、このままでいいとはとても思えなくて」
「――うん。言ってくれてありがとう。大丈夫、俺も無理してる自覚はったし。だめなのかなとは、思ってたから」
飯田はそう言うと、ポケットに手を入れスマートフォンを取り出した。
すっかり見慣れたそれを見て、なんとなくズキリと胸が痛む。
「俺らの関係なんてさ、こうすりゃ一発で終わるんだよ。まあ、ごねられるかもしれないけど」
そして飯田は電話帳の中から、「雛」という名前を引っ張り出すと、躊躇い無く消去ボタンを押した。
「――え」
そんなにあっさり。俺なんかの言葉で。
それを望んだはずなのに、いざ目の前で事を起こされると動揺してしまう。
俺は慌ててそれを取り上げ、『消去しました』のポップアップを呆然と眺めた。
「あの人は絶対に、俺のために泣いてはくれない」
そう言って差し出されたのは、小さなタオル地のハンカチだ。
こんなときでも飯田は優しくて。「泣かせてごめんね?」なんて茶化しながら無理やり笑ってくれる。
「もうそんな笑い方、しなくていいんだよ」
ほんとに、なんで俺らがこんな思いをしなくちゃいけないんだろう。
子供だからと遊ばれて。振り回されて。利用されて。
そんな大人の身勝手が悲しいよりも悔しくて、ぼろぼろと涙が零れる。
それでも絶対に声だけは出すまいと、懸命に歯を食いしばった。
悪夢のような出来事から数日。
睡眠時間が十分確保できるようになったからか、飯田はみるみる調子を取り戻していた。
別れ話については正式にそういう場を設けたりはしていないとのことだが、あちらからの接触はないそうだ。
「まあそんなもんだろ。子供に振られたなんてプライドが許さないだろうし」
とは、飯田の弁。たまにその話になっても、そこに未練や後悔の色がないことに、俺は人知れず安堵のため息を零している。
とにかくこれで、ようやく近辺での恋愛話が片付いたことになるのか。
「あ、待って。――悠里!」
移動教室の途中、悠里の姿を見つけた俺は同行の二人に断ってそちらに歩み寄った。
「な、なに」
「ん?お前なんか、雰囲気変わった?」
「雰囲気どころか髪色も髪型も変わってるわよ馬鹿」
言われてみたら確かに、髪色はおとなしく。髪型はストレートのボブカットになっている。
けれど甘い匂いはそのまま。この匂いについては、正直嫌いではない。
「――今までのは、こういうのが好きな男が多いからそうしてたってだけ。でも、当分いいかなって。そういうのは」
「改心したのか」
「っていうか――トモダチが、心配するでしょ。あんまフラフラしてたら。そういうのよくないなって、この前話して、ちょっと思って」
俺との会話がどういう作用をしてこうなったのかはよくわからないが、とりあえずこの心境の変化については、良い事のように思える。
敵ばかり作っていても仕方が無いし。ひっかかるのは良い男ばかりではないだろうし。
そして何より、加藤先生のあの振る舞いを思い返すと、キャラチェンジは万々歳だ。幼馴染にああはなってほしくない。
「いいんじゃない。似合うよ」
「ひっ」
「ひってなんだよひって」
口にしたのは、嘘偽りのない本音の言葉だった。
これで引かれてしまうだなんて、相変わらず俺はひどく嫌われているらしい。
「こっち。色々落ちついたからさ。この前、話聞いてくれてありがとう。助かった」
嫌われていても、礼儀は礼儀。
手短に結果報告とお礼を述べて、その場から立ち去る。
待たせていた飯田と花村に「行こう」と移動を促すと、二人は何か言いたげな目でこちらを見ていた。
友人達の恋愛を間近で見て、感じたのは
やっぱ当分、恋愛はいいや!という極めて後ろ向きな感情だった。
大人のどす黒いものを見た。その影響は、多分にある。
というかもうそれが理由の7割くらいを占めているのだけれど。
恋愛について、俺はあまりに不出来だったから。
自分が誰かを好きになって、その誰かを幸せに出来るビジョンが、まったく、さっぱり見えないのである。
そんな俺に、友人Hは言う。
「俺さあ、絶対あの子佐久間のこと好きだと思うんだけど」
それに続いて、親友M。
「有はツンデレ的なやつはまったく通じないからな……」
「……俺は絶対反対だぞ。佐久間にはもっと一途で清楚でお淑やかな女の子が似合う」
一人だけ様子がおかしいのは、友人I。
悠里が俺をどうたらというのは三人が突然言い始めた妄想だ。
生憎当の本人にそんな手応えはまったく、さっぱりないので信憑性は皆無。
ていうか無理して恋する必要は無いだろう。
俺はまだ、友人Sのままでいい。
面倒だとも思うけど。怖い思いもしたけれど。
恋の主役の傍で、意味ありげなようでそうでもない言葉を吐く。そのポジションを、結構気に入っているのだ。
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