アニログ小説「少女はポピーの花をさして笑う」Episode1
あらすじ紹介
何のために、誰のために記事を書くのかわからなくなっていた新聞部のマリカは三年棟に現れる少女の霊を記事にするよう、指示される。 はたして少女の霊は、本物なのか。それとも誰かが仕組んだニセモノなのか。 「心霊現象を科学したい」というクラスメイトの圭吾とともに、三年棟の調査を開始したマリカは、自分が何をして生きていきたいのか、何のために記事を書きたいのかに気づいていく。
本編
一章
南向きに位置する新聞部部室には、窓から夏の強烈な陽光が差し込んでいる。
「地球温暖化が進む今、公立高校とはいえ教室だけでなく、部室にもエアコンを設置するべきですね。とりわけこの新聞部の部室は、真っ先に設置されるべきですよ。じゃないと、私のメイクが崩れて、崩れて……。やだあ、アイラインが落ちてパンダ目になってるぅ」
パイプ椅子に足を組んで座っていた藤井マリカは、手鏡で自分の顔をチェックしながら高い声を上げた。
新聞部の定例ミーティングでのことだ。
「そんなに暑さが嫌なんだったらさ、七月号の心霊特集は、マリカが担当してよ」
新聞部部長の大泉奈々子(おおいずみななこ)が、大福のような頬をもち上げて、にっこりと言う。
「は!? なんでそうなるんですか!」
マリカは急いで立ち上がった。勢いあまってかたわらの炭酸ジュースが倒れ、隣に座っていた一年部員のカナが、慌ててタオルで拭く。
「涼しくなるわよ、心霊特集。それにマリカだけよ、まだ七月号で書く記事が決まっていないの」
「私だっていろいろ考えてるんです。夏のメイク特集とか?」
「校則でメイク禁止されてるの。教師にケンカ売ってどうすんの! 夏と言えば怪談でしょ。あれだけは、毎年人気があるのよね」
「ネタはあるんスか?」
一年部員のナオキが尋ねる。
「ええ、ピッタリのネタがあるわ。この高校の三年一組で、最近頻繁に心霊現象が起こっているみたいなの。七年前に、行方不明になった女子の幽霊だって、もっぱらの噂よ」
「身元が特定されてるなんて面白いスね!」
ナオキは感心したように目を大きくしている。
「最初は、女子の泣く声や足音だけだったらしいんだけど、幽霊の目撃情報も出たからね。目撃者に取材のお願いもしてあるから、記事にしてちょうだい」
「ちょっと、待ってくださいよ。三年一組って奈々子先輩のクラスじゃないですか。だったら奈々子先輩が記事にしたら?」
マリカが口を尖らせて抗議すると奈々子は、
「取材対象が私のクラスだからって、私にやれというのは横着かつ横暴よ。それに、私は自分の記事があるし、編集作業もあるの」
と、ぴしゃりと言った。
三年生の教室は、三年棟と呼ばれて独立した建物になっている。一、二年生用の教室がある本棟よりもがぜん古く、木造の古びた二階建てだ。建て替えは予定されているが、なぜか毎年、延期にされているらしい。
二年生のマリカは、三年棟の内部は知らないが、薄気味悪いな、と前々から思っていた。
「心霊特集なんかより、もっと華やかでエキサイティングな記事が書きたいの」
マリカは以前、生徒会選挙の候補者が、反対陣営の悪口を組織的にSNSで広めていたのを、紙面で糾弾したことがある。
以来、生徒会には何かと目をつけられているが、慣れあうよりはずっとましだ、とマリカは思っている。
「また、スクープを狙ってるの?」
奈々子があきれたように言う。
「いけませんか?」
マリカは挑むように言った。高校生とはいえ、記者ならスクープを狙うべきだ。
「先月、記事を落としたのにまだ懲りないの?」
耳が痛い。普通の高校にスクープなんて、そうそう、あるものではない。
スクープを狙ったマリカは記事が書けず、その結果、乗せる予定の校内新聞に、マリカの記事が載らなかったのだ。
「でも紙面を埋めるために書くのは、違うかなって思ったんです」
マリカはむっつりと反論する。
「マリカは将来、記者になりたいって、言ってたものね。でもプロだって、興味のあるものだけを取材できるわけじゃないの。練習だと思ってやればいいのよ」
「そんなことは分かってます」
「だったら、やってちょうだい。それとも、『私に怖いものはない!』なんて大口叩いているくせに、本当は幽霊が怖いの?」
奈々子がニヤニヤと言った。
怖いものがないというのは、権力に屈しないぞというマリカの覚悟であって、幽霊が怖くないという意味では断じてなかった。でも、馬鹿にされて、黙っていられないのがマリカだ。
「は、怖いわけないじゃん!」
反射的に叫んだ直後、奈々子の顔が満足気な表情に転じた。それを見て「乗せられた」と悟ったが、もう遅い。
「じゃ、マリカで決まり! 身の毛もよだつ記事を待ってるわよ!」
奈々子が満面の笑顔で宣言した。
「わかりました、やりますよ! 読者が仰天するような記事にしてみせますから、ご心配なく!」
マリカは部室を出て、引き戸を思い切り音を立てて閉めてやった。
*
啖呵を切って部室を出たものの、マリカは内心、困り果てていた。
本当は、心霊だの怪奇現象だのは、大の苦手だ。十七歳になった今でも、怖い話を聞くと、トイレにいけなくなる。お化け屋敷なんてもってのほかだ。そんな自分が、心霊特集の担当とは!
奈々子も本当は、マリカが怖がりだと気づいているのだろう。その上で、こんな記事の担当にするのだから、タチが悪い。
来年、私が部長になったら、心霊特集は廃止にしてやる。
心中でそう決意した時、スマホのメッセージ音が鳴った。新聞部のグループライン上に奈々子からメッセージが来ていた。「幽霊の目撃者である、三年一組の斉藤君の連絡先」という文言と、携帯番号が載せられていた。
さっさと斉藤とやらに取材して記事を書いてしまえばいい。部長の奈々子も、それでいいと言っていたではないか。
分かっているのに、その通りにするのは癪にさわる。
できることなら、深掘りをしたり、幽霊に対する別角度からの考察を載せたりして、奈々子をあっと言わせたい。
でも一人では、やれる気がしない。幽霊が現れた場所に足を踏み入れるのも嫌なのだから。誰か、手伝ってくれる人でもいれば……。
その時、マリカはあることを思い出して、科学室へ向かった。
科学室のドアを開けると、白衣を着た生徒たちが、一斉にマリカを振り向いた。
「石崎圭吾くんいますぅ?」と声をかける。
「え、藤井さん? 僕に何か用?」
部屋の奥から、クラスメイトの石崎圭吾が答える。腫れぼったいまぶたと茶色がかった髪。身長はマリカよりも少し低く、猫背だ。マリカは内心、眼鏡をかけたカピバラと呼んでいる。
マリカは圭吾につかつかと歩み寄った。
「あんた、クラス替え後の最初の自己紹介で、心霊現象が好きって言ってたわよね」
圭吾を指さして尋ねる。マリカが圭吾と口をきくのはこれが初めてだが、カピバラっぽい見た目につられて、つい「あんた」呼ばわりをしてしまった。
圭吾は、頭の後ろを掻いた。
「好きって言うか、幽霊の原理を科学で解き明かしたいんだ。そのために、あちこちの心霊スポットを調査しているんだよ」
科学で解明? マリカは首をひねった。
「つまり、幽霊は存在しないっていう立場?」
「いや、存在すると思ってるよ。人には死んでも滅ばない魂が宿っていると思うし、死後の世界も存在すると思う。幽霊や魂の存在は、現代の科学では証明できないから未知の存在とされているけれど、将来的には必ず、科学で納得のいく説明がつけられると思う。それを、僕なりの方法で研究してるってわけ」
「ふーん。だったら、私に協力――いや、あんたの研究に、私が協力したげる」
マリカは近くにあった椅子に足を組んで座り、これまでの経緯を説明した。
もちろん、怖いから一人で取材したくない、という本音の部分は隠したが。
一通り聞き終えた圭吾は、腕を組んで頷いた。
「状況はわかった。ただ、まず言っておきたいのは、幽霊にまつわる証言の九割以上は、現代科学でも証明できる現象なんだよ」
「つまり嘘ってこと?」
「嘘をついているつもりはなくて、幽霊らしきものは見てるんだろう。でもその正体は、霧や、風、あるいはプラズマなどによる自然現象や、人間の脳の見せた錯覚なんかだってこと」
「ああ、『幽霊の正体見たり枯れ尾花』っていうものね」
マリカは答えながら、圭吾ってこんなにしゃべるんだ、と驚いていた。クラスでは、しゃべっている姿を見たことがない。
「でも残りの一割弱は、本物かもしれない。僕はそのわずかな可能性を追い求めて日々、心霊スポットを巡っているんだ。そういう意味では、身近な学校で幽霊の観測ができるかもしれないのは、ラッキーだよ。本物だったらいいなあ、僕、まだ本物の幽霊を見たことないんだ」
圭吾は夢見るように言った。
「私は偽物の方がいいわ。そんでもって、三年一組の心霊現象の科学的考察ができれば、万々歳よ」
そうなれば、奈々子の鼻を明かせるからだ。
記事の見出しは「三年棟の幽霊の正体に迫る!」といったところだろうか。
「それじゃロマンがないよ」
と圭吾は口を尖らせたが、幽霊にロマンを求める方がどうかしている。
「ともあれ、まずは目撃者に取材しなきゃならないの。あんたも来るわよね?」
マリカは圭吾の返事を待たずに、目撃者の斉藤の携帯番号をタップした。
連絡したところ、斉藤とはすぐに会えることになった。まだ教室にいたのだ。「残っている生徒は少ないから、ここへおいでよ」と斉藤は言った。
気乗りする取材ではないが、圭吾も首を縦に振っているし、すぐに行くと伝え、通話を切った。
*
三年棟の入り口は薄暗く、カビっぽい臭いがした。外観だけでなく、廊下も板張りで、歩くとぎしぎしと音が鳴る。一階は玄関、トイレ、それから三年三組、四組、五組の教室がある。
もうすでに帰りたい気持ちをなんとかなだめつつ、二階へ向かう階段を昇る。
二階には教室が二つあった。手前が三年二組、奥が一組だ。一組をのぞくと、斉藤と思しき生徒、一人しかいなかった。それもそのはず、教室には相当な熱気がこもっている。みな、エアコンのある自宅や図書館へ移動したのだろう。
「君が新聞部の藤井マリカさん? いや、こんな美人の子が来てくれて嬉しいよ」
ガッチリした体形に、スポーツ刈りの斉藤が、タオルで汗を拭きながら言った。
笑顔を取り繕って、マリカは一、二年の教室とは趣の異なる教室を見まわした。
「今時、床が板張りだなんて笑えるよな」
物珍しげに見ているマリカに、斉藤が苦笑しながら言った。
「そうですね、黒板の上、変なパイプが通ってるし」
「そっちの教室はスチーム暖房だから、知らないか。石油ストーブのエントツだよ。冬場は黒板の左前にストーブを置いて、縦のエントツをつなげるんだよ」
来年はこんな古びた施設で学習するのか、とマリカは気が重くなった。
「あ、君も新聞部? すごい荷物だな」
遅れて現れた圭吾はなぜか、パンパンに膨れたリュックを背負っていた。
「なんなのよ、この大荷物は」
マリカが小声で尋ねると、圭吾はリュックを開けた。
「電磁波測定器とか、風向風速計、あとはメジャーなんかも……」
「どうして取材にそんなものを?」
斉藤は目を見開いている。
「あーこのカピバラメガネはお構いなく」
マリカは圭吾をひじで押しやった。
「じゃあ早速ですけど、ソレを目撃した時のことを教えてください」
「先週のことだよ。二十時頃に、忘れ物を取りに来たんだ。翌日、オープンキャンパスに行くのに必要な書類だったからね、その日のうちに取り戻す必要があったんだ。本棟の職員室に残っていた金子先生に懐中電灯を持ってついてきてもらって、一緒に教室まで上がったんだけど」
「金子先生?」
マリカは口を挟んだ。
「金子勝(かねこまさる)先生。三年一組の担任の数学教師だ。三年の主任教諭でもある。教え方がうまいし、愛想もいいし、生徒に人気がある。受験生の担任は嫌がる先生も多いけど、金子先生は、受験生を十年も続けて受け持っている」
「へえ」
「話は戻るけど、金子先生と一緒に教室へ行くと、扉を開けた瞬間、窓の外に少女が浮かんでいるのが見えたんだ。細身で、長い黒髪で――藤井さん何してるの? 耳を塞いでたら聞こえないだろう?」
マリカは耳から指を抜いた。
「だって、その現場って、ここでしょ?」
「ちょうどこんな感じ」
斉藤が窓の前に立って、感情のない顔で目を見開いてみせた。
「ひぃっ。よくそんな冷静に再現できますね」
「霊を見た瞬間は、びっくりして逃げ出したよ。でも今は明るいから出ないでしょ」
昼間から現れる奇特な霊もいるんじゃないか、とマリカは思ったが口には出さず、別のことを尋ねた。
「金子先生も、逃げ出したんですか?」
「先生は、電灯を点けようとした。だが、どういうわけか点かなかったんだ」
マリカは無意識のうちに腕をさすった。鳥肌が立っている。
「それも霊のしわざでしょうか」
斉藤はマリカの反応を面白がるように半笑いでつづけた。
「だろうね。一階に下りて配電盤をチェックしたら、ブレーカーが落ちていたらしいよ。で、もう一度、二階に上がって来た時には、霊はいなかったんだってさ」
幽霊はブレーカーまで落としたのだろうか。ご丁寧なことだ。
「あ、そうそう、先生には『幽霊のことは他言するな』って言われてるから、くれぐれも僕の実名は出さないでくれよ?」
斉藤が念を押した。
「どうして、他言しちゃだめなんでしょう?」
「三年棟にへんな噂が流れるのを懸念したんだろうね。下手したら、この学校への入学者数にも影響が出る」
「なるほど。でも、ほかにも霊を見た生徒がいるんでしょ?」
「いやあ。ほとんどが、女性の泣き声を聞いたとか、足音を聞いたとか、そういう話だったよ。僕ほどはっきりと見た人はいないんじゃないかな」
だとしたら、実名を伏せたところで、証言者は斉藤だと、すぐにばれるだろう。苦笑しつつ質問を重ねる。
「幽霊が七年前に失踪した生徒だと、どうやって気づいたんですか?」
「それは、僕が言い出したんじゃないよ。噂が広まるうちに、尾ひれがついたんだろうね」
斉藤は肩をすくめてみせた。
マリカは斉藤に礼を言い、取材を終えた。
「カピバラ。ずっと何か測ってたけど、何してたの」
マリカは、メジャーを使って床や扉の長さを測っている圭吾に声をかけた。
「現場の状況を記録してるんだ。測定機には異常は見られなかったからね」
「測定機って、持ってきた機械? 幽霊って機械で計測できるわけ?」
「僕の経験上、心霊スポットでは電磁波が発生することが多いんだ。以前、廃ホテルで怪しい光を見た時は、電磁波測定器が五ボルト・パー・メートルもの電気を観測したんだよ。これは僕の仮説だけど、霊は電気体なんだろうね」
霊が電気? マリカは首をひねった。
「幽霊って、もっとフワーっとした、気体みたいなイメージだけど」
「僕らの脳のなかでも、思考は電気信号になって伝達されている。だから、念の塊だと言われる幽霊が電気信号でも、不思議はないと思うよ」
だったら、霊に触ったらビリっとするのだろうか。それを確かめる機会は未来永劫、来ないでほしいが。
「うーん、計器が反応しなかったってことは、幽霊は見間違いって結論でいいのかしら」
「そう結論づけるには、幽霊が目撃された時間帯に計測しなおす必要があるね! ところで藤井さん、今夜予定ある?」
圭吾がにこにこと尋ね、マリカは思い切り顔を引きつらせた。
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